2009年01月15日09:52人生の舞台を創作していくのは”自分の心”である
「ゆるし」とは?
〜「いかに生きるべきか」とお説教するのをやめ、ただ愛し、ただゆるせば、みんなと穏やかにつきあえる
愛とスピリットを中心に考えれば、ゆるしとは過去の傷を喜んで手放すことである。つまり、これ以上苦しむのをやめ、心と魂を癒そうと決めること。憎しみや怒りには価値あるという考えを手放す。すべては過ぎ去ったことであるから、自分に何かが起こったからといって、人や自分を傷つけるのはやめる。人を裁いたり責めたりせず、目を開いて、その人の中に光を見出す。
『ゆるしとは、同情、優しさ、親切、思いやりを感じること』
私たちがどんな状況にあろうと、こういった感情というのは、いつも私の中にある。ゆるしは、内なる安らぎと、幸せに続く道や、魂へと続く道なのである。
しかし、どういうわけか、私たちの中には、憎しみや怒りや苦痛にしがみついたままでも、安らぎを得られると思い込んでいる自分がいる。自分を守らなければならないという考え、いつまでも憎しみ続け、復讐しようとしながらも、幸せや安らぎを感じたがる。「私は傷つけられたのだから、愛を言葉にしたり、態度に表すことはだめだ。愛は出し惜しみしないといけない」と、自分は主張する。
ゆるしは旅にたとえられる。怒りが怒りを呼ぶ世界から、平和な世界へと向かう旅。この旅の向こうには、スピリチュアルな自分がいる。神の心が待っている。それは、無限で無条件で愛に満ちた、新しい世界である。ゆるすことで、心にある望みのすべてが叶う。恐れや怒りが苦痛から解放され、自分があらゆる生命やスピリチュアルな源のひとつなのだと、実感できる。
ゆるしは、暗闇を抜けて光に至る道である。私たちはゆるすためにこの地上に生まれたのであり、ゆるすことによって自分が世界を照らす光なのだとわかる。それが自分の影や、他人の影であっても、ゆるせば、過去の影から自由になれる。
『ゆるせば、すべての望みが叶う』
ゆるすことで手に入れられない望みなどあるのだろうか。ゆるすことで、自分の望んだ環境や世界を引き寄せることができる。目覚めの時、目はキラキラと輝き、新しい一日は喜びに満ちたものとなる。こうした心の安らぎのひとときが、ゆるすことで自分の手に入る。
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「ゆるすということ」
ジェラルド・G・ジャンポルスキー氏著
サンマーク文庫
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私たちは、自分や他人をゆるすことにためらいを感じる。それはどうしてであろうか。ゆるすことで、自分というものの価値が脅かされるからなのかもしれない。また、過去にしがみつくことで、今の自分を肯定したいということもある。しかし、過去のしがらみに縛られることは、「今というこのとき」を生きることができない。今このときに幸福を感じられないというのは、心の平穏が得られないことに繋がる。日々心がかき乱されて、幸福を感じられないため、どんどん荒んだ思考になっていく。そして、他人を傷つけることが幸福と勘違いをする。自らが不幸の種を蒔いているにも関わらず、幸福を得られない人生に憤りを感じる。自分の悪循環の行いに気付くこともなく、今日という日が過ぎ去る。ゲーテも、「本当に人が悪くなると、他人を傷つけることにしか幸福を見いだせない」と説いている。自らが引き寄せている不幸に身を置きながら、「幸福を得たい」と、決して手に入るものがないものを願う。人間の心は複雑で、自分で自分の心が操れないことがある。それにより、毎日悲しい事件や争いが起こっている。自分の心の主人になれない人は、何をやっても上手くいかないだろう。自分の心は自分でコントロールする。当たり前のようであるが、多くの人が自分の心に振り回されている。私も、喜怒哀楽を感じて、一喜一憂したり、イライラを感じる時もある。しかし、負の感情をずっと持ち続けることは、負のものしか引き寄せない。そして不幸と呼ばれるような、ネガティブな世界に身を置くことになる。自分が負を呼んでいるのに、ポジティブなプラスなものを引き寄せることは不可能である。
人は容易く迷ってしまう。心の迷路に閉じ込められて、立ち止まって蹲る。そして、涙を流して「どうしてこうなってしまったんだろう」と嘆く。たまに落ち込むことは、人生の経験として良いかもしれない。しかし、それが永延と続くと、体の不調となって表面化する。今という大切な時間を、過去に縛られて、溜息をつくような人生を送ることになる。”溜息”からは何も生まれない。生産性のないものに、日々の時間を費やす。こんなに虚しい人生はないかもしれない。それでも、人は同じ行為を繰り返してしまうもの。しかし、発展性や成長のない毎日に見えても、少しは前に進んでいると思いたい。人によって学びの速度は違う。だから一ミリでも進んでいたら、自分を褒めるようにしようと思う。人間は、常にポジティブ思考を保てる人と、そうでない人がいる。もしネガティブよりの思考になりやすい人でも、「ポジティブに変えていこう」という、心を持つことが大切なのかもしれない。
今日という日が光り輝いたものとなるように、人は今を生き、明日に思いを馳せる。日々の喧騒に流されて、もがきながらも、自分というものを見つけ出す。なかなか見つからなくても、辛い状況から打開策を見つける。困難や試練から、明るい光を見出せるようにする。自分の思考を明るい思いで包むことで、ポジティブな思考を、実現化させることができるのかもしれない。逆に、ネガティブな思考を実現させることもできる。どちらを選ぶかは、すべて自分の心にかかっている。自分の思い描いた思いや考えが、人生に表面化するのかもしれない。それには、常に明るくて発展性のある思いを持ち続けることが、大切なのかもしれない。分かっていても、負に流される人もいる。私も負に流されやすい。だから、意識して「変えよう」と思うことが必要なのかもしれない。何事も、強く思うことや強く願うことが大切である。今このときに幸福を感じる為には、やはり、正(プラス)の感情を持ち続ける。すべては自分が作り出す心の働きによる。
人は、希望と自分を信じる力さえあれば、何とか厳しいと思える現状も、乗り越えられる気がする。今までの人生で、乗り越えられなかった試練はなかったような気がする。良くいう「神は乗り越えられない試練は与えない」というものだろうか。どちらにしても、私は生きているだけで素晴らしく、個の尊い存在である。世界にひとつしかない、自分というものを大切に生きていければ、人生というシナリオは何度でも書き換えられる。人生の脚本は自分で作り出す。役者や内容も変えることができる。そういうファジーでライトな感覚でいれば、辛い時期も乗り越えられる。『生まれ落ちてから、人生という舞台に立ち、カーテンコールが来るまで演じ続ける。それには、自分というものがどういうものか、常に心の状態を把握し、理解することが大切である。自分が自分の味方になることで、他人に流される人生を送ることはない。他人と比較して、一喜一憂することも少なくなる。心を平穏に保てる人だけが、得られる幸福というもの。幸せは外にあるものではなく、自分の内側、心に存在することを知っていれば、舞台の幕が下りるエピローグには、悔いのない物語を演じた自分が待っている』



