様々な年齢や障害を抱えた方々のケア。自分の想像を越えた以上の仕事である。それぞれの病状の進捗度合いが違うため、その人のパーソナリティをきちんと知りえないと、相手を傷つけたり、間違ったケアをしてしまう。心を癒すどころか負担をかけ兼ねない状況である。
しかしその中でも、日々勉強対象となる事柄が数え切れないくらいある。毎日が、”勉強・努力・忍耐・スマイル”・・・『すべての人が笑顔になる資格がある』と痛感する。私が辛かった時期に冷たくされたり嘲笑されたから、余計に相手の気持ちがよく分かる。
一人の男性は、「この病気は理解されないから辛い・・・」と言った。昨日の男性もそうだ。「健康な人にこの苦しみは分からない」。相手の本質までは知りえることはできないかもしれないが、「分かろう」「理解しよう」「見放さない優しさを配る」「笑顔で接する」ことができれば、相手の痛みが少しは軽減されるのではないかと感じる。
「誰かに話す、聞いてもらう、共感を得る、優しさと暖かさを感じられる環境に身をおく」ことができれば、相手の心は少しずつ癒されていくのかもしれない。だからあきらめずに粘り強く接していけば、どんな人も人で癒される幸福を感じられると感じる。
私はずっと何十年も理解されなくて辛かった。『理解されない=心が受け入れられてもらえない⇒人間としての価値を低く考えて悲観的になる』・・・誰にも理解されないということは、人間としての価値を見失う。そうすると生きている価値が見出せずに、暗闇の中を生きも絶え絶え生きていくことになる・・・。本当に辛くてたまらなかったか。だから「理解しよう」と思う。
どんな人(老若男女・障害や病気のあるなしに関わらず)のことも理解したいと思う。でもまだまだ勉強が足りないがために、すれ違いや摩擦が起きてしまう。しかし、私よりももっと辛い状況下で生きてきた人もいる。そういう人たちこそが”生きるダイヤモンド”として、たくさんの人に光を与え続けているのだろう。
『誰かに理解されること = 人間価値の構築や創造』
「人間とは何か」
人間とはときには優しく、ときには残忍で卑劣。しかし優しい人がいるから生きていける。人類が永遠に追い求めるものへの答えを私は永遠に探し続けるのだろう・・・。
「人間の価値とは・・・」
人間の価値はどれだけ相手の”よいところ”を探せるか、”優しさ”を配れるか、どんなときにも”平穏な心”を保てるかにかかってくる。人間の価値基準は人それぞれ。しかし自分のモノサシだけではなく、たくさんの人の考え方を聞くことにより、そのたびごとに基準というものを変えていく必要がある。何が正しくて何が間違っているか・・・。それはその人が決める事であり、誰かが決めることではない。人間の価値とは、同じ(平等)であるべきである。そして”同じ人間”として互いを尊重すべきである。
今の職場での人間関係でも、いろいろないざこざがある。面倒だ。中立を保ちたい。”仲良くやろうぜ”と思う。誰か(仲間や身近な人)の良いところを探せない人が、誰か(まったくの他人)のケアを行えるとは思えない。しかしそれが現実・・・。人間社会や日本における、組織や女性特有の集団の特色である。それが心にゆとりがない人間のとる行動。誰かを咎めて蔑む、弱い奴のすること・・・。それが福祉や医療の世界で行われているとしたら(実際に行われているが)、本当に悲しい。心身ともに弱い人を助ける立場の人は、本当に心から人が好きで癒したくて笑顔にしたい、ユーモアがあって優しい人であれ!
そして私は、自分への内省の日々を送る。その時ごとに、いろいろなことを学びながら成長を遂げられる人を目指す。私の感情は外へ向かうのではなく、自分の中へと向かっている。『自分との闘い』・・・だから仲間を嘲笑することに何の意味も見出せない。同じ人間に対して優劣をつけるようでは、まだ人間的に未熟だと感じて反省する。いつも自分と闘い、一生懸命に生きている人は、人を傷つけることが時間の浪費につながることを知っている。そしてゲーテが言うように、「人が悪くなると、人を傷つけることにしか楽しみを見出せなくなる」と思っているので、他人に鋭い刃をむけることは一切しない。
優しくて平穏な心、揺るぎない強い心を持つ人になるために、私は勉強をおこたらない。全てのものから学んでいく姿勢を貫き、”実践してこその哲学”を根底に生きていく。きっとあきらめなければ、道は開け、心の変化が起こることを知ることとなるだろう・・・。
ガンバリスギズニイイガゲンデテキトーナジンセイヲガンバロウ〜!!
***********************************
PS:ここ最近の記事。誤字脱字、意味不明だったらすみません。疲れていて眠いよ〜(泣

