途中で休憩したっていいんです。
走り続けていたら、たまには休むことだって必要でしょう。
ときには歩みを止めて、まわりを眺めてみてもいいでしょう。
でも、そこでやめにしたら、すべてが終わりです。
疲れたときは、一休みしてみましょう。
エネルギー切れになりそうなときは、充電しましょう。
でも、それは次の一歩を踏み出すため。
途中でやめてしまったら、すべてそこで終わります。
あきらめなければ、いくら遠回りしようとも、
何度失敗しようとも、いつか突破できる日が来るでしょう。
もしかしたら、次の一歩でゴールにたどり着けるかもしれません。
でも、たどり着くまで、ゴールは見えないのです。
もうあなたにはわかっているはずです。
失敗というのはものごとの終わりではなく
むしろ輝かしい未来を切り開くきっかけだということに。
今、なにをやらなければならないか。
これからどう考えていけばいいのか。
これからどう行動していけばいいのか。
失敗から学んで、よりよい考え方や行動を実践すること。
つまり、将来大きな花を咲かせるような、
素晴らしい種を蒔き続けること。
その種が芽を吹き、葉を広げ、つぼみをつけ、
花を咲かせるように、じっくり育てていくこと。
そして、それを途中であきらめないこと。
もし、そのような生き方をするためのきっかけとなるなら、
この失敗は、あなたの大いなる成功や
最高の幸福をもたらすための
素晴らしい出来事だったと言えます。
そして、いつの日か、あの失敗を乗り越えてよかったと、
心から思える日がくるでしょう。
「人生は、失敗するからうまくいくのです」
〜ジェームズ・アレン
引きこもりの時期に数え切れないくらいの本を買ったり買ってもらったりして読んだ。約4年位の引きこもり(ニート)から脱出した時、有り余る本を、義父の親戚の引きこもりの男性(私よりも10歳くらい年上)の人に郵送で送った。当時は迷惑がられたみたいだけれど、今年になって義父の兄弟のお葬式の際に母親に、彼が「“本をありがとう”と私に伝えてく欲しい」と言ったらしい。
彼が今何をしているかはよく分からないが、私よりも長い期間引きこもり生活を続けていた。彼は頭が良かった。良かったが為に人生計画をすべて決めていた。それが少し狂ったという些細なものなどから、“プライドの欠如”というものから引きこもりになった。義父の兄弟の子供たち、特に男性は引きこもりなったり、ジサツをしたりする、いわゆる「男性が成り立たない家系」だった。義父も57歳でこの世を去った。もうひとりの義父の弟の長男も引きこもりになった。ゲームを最後までクリアできたり、頭のいい子(私より5〜8歳年下)だった。今何をしているかは良く分からないが、彼の父親が亡くなったお葬式の際には、「頑張ります」と言っていたらしい。
私も引きこもりやニート、ジサツを考えたりした。どうして人は少しの失敗ですべてがダメになったような感覚になるのだろうか。プライドが許さないのか、計画が崩れたからか、人から笑われるのが怖いのか・・・。
誰かと比べて自分の劣っているところばかりを数えて暮らしてきた。しかし、埼玉県の
彼がメッセージカードを引いた時に、「神の子」と「高利貸し(奪う)」というものを引いた。その意味は良くわからないが、多分「借金がある」ことや「彼やいろいろな人に迷惑をかけていること」と、「誰でも神の子供」という意味だろうと解釈した。私も以前はタロットや光のカードなるものなどを乱用した時期があった。そして占い師のところに頻繁に通った。でも結局は、「自分の心が変わらない限り何も変わらないこと」に気づいた。
いろんな失敗を後悔して、「どうして私だけが・・・」という思いに苛まれた。過去を見てばかりで失敗から学ぶ事をしていなかった。それに気づきさえもしていなかった。「自分を愛すること」「ありのままの自分で生きること」を気づかせてくれた人たちに感謝したい。そして「生きることへの感謝」を教えてくれた人に感謝したい。今私がここに存在し、息をして文章を書いているのも「偶然ではなく必然の導き」があったからかもしれない。
確かに病気や落ち込みなどでつらいときのほうが多い。しかしその中でも楽しいと思えること、小さな幸せに気づける境地になれたことに感謝をしたい。すべてのまわり道や無駄と思えることや失敗は、あきらめなければ必ず報われる。
ジェームズ・アレンは素晴らしい。彼の本と出会ったのも必然。優しい人たちに出会ったのも冷たい人に出会ったのも必然。出会いと別れを繰り返したのも必然である。自分に必要な人はとどまり、不必要な人は離れていく。人間はそういう法則になっていると思う。
そして辛くて苦しい出来事から学ぶ。失敗から学ぶ。一生学んでいくのが人間。路頭に迷って暗闇の中に身を置いても誰かが助けてくれる。道標を示してくれる。その過程がどんなに辛く痛いものだとしても、それを乗り越えなければ人間に成長はない。
私が経験した辛いことには、すべてに“助け”が用意されていた。いつも何かに救われた。それは「人間の優しさ」。この世の中には本当に優しい人は存在する。しかしそれに反比例するように、優しさを置き忘れてしまった人もいる。だから世の中の秩序が保たれているのかもしれない。
失敗しても、その瞬間やその日だけ取り乱しても、その人の人格は尊重されるべきであり、見放さない優しさを持つことが必要だ。私が心療内科やカウンセラーや母親、親友に見放されたように、信頼している人に突き放される事は本当に辛い。どうして良いか分からなくなり、人間不信や対人恐怖の元になる。
紆余曲折あり今の私がいる。間違ってばかりの私。どうしようもない私。理不尽で手の施しようもない状況下で生きてきた自分・・・。そろそろ褒めてあげないとかわいそうだ。命は永遠でないのだし、生かされているのだから・・・。
「神の子」(山本キッドか?)
みんな天から生まれてきたから神の子なんだろう。だから可能性を捨ててはいけないと感じる。少しの希望と優しき人の愛情があれば、容易く間違った道へは行かない気がする。
親友だった人に夜の仕事をした事について、「覚せい剤(ヤク)に手を出さなくて良かったね」と言われた。そして引きこもりについて、「義父に犯されなくて良かったね」と言われた。・・・正直、「お前なんか死んでしまえ!!」と思った。しかし私が制裁を下さなくても、旦那さんがうつ病になり働くのもままらなくなってしまった。彼女の宗教が祈れば祈るほど願いがなうのなら、「一生寝ないで祈っていれば?!」と思ったが、もう彼女の事は手放したし忘れた。
世の中いろいろな価値観や生き方、考え方が交錯していて、何が正しいか分からなくなる時がある。しかし自分の考えを信じて生きていればいつかは道は開ける。自分というものを強固にすればするほど、人は強い人に集まり、心を開いてくれるくらいの人間関係が作れることを私は知った。
すべては自分。自分の心にかかっている。自分が変わればまわりも変わる。そして失敗を誰のせいにもしなければおのずと道は明るく照らされていく。
「ありがとう」と言える境地。
そんな境地になれるとは思っていなかった私。
死に向かって生きていた私。
孤立無援で過呼吸になった私。
いろんな私が今の私を作っている。
あきらめなければ誰にでも新たな道が現れる。
優しい人がこの世に存在する限り
すべて人に救いや癒しの光が注がれる。
私はそう信じて今日も生きている。



