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    2009年11月25日12:40小さな願いは 月の如く瞬き 星の如く消えゆく。。。
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    あなたに会えなくて 悲しみに身を置く

    あなたと離れていて 苦しみに身を委ねる

     

    病気がちで 心が伏しているときは

    本当に寂しくて 孤独の中で死を待つのみ

     

    痛みの中で 気持ちが落ちているときは

    世界でひとりだけ 涙の海に溺れている

     

    どうしたら この手があなたに届くのか

    どうしたら この思いがあなたに届くのか

     

    今日も夕暮れとともに眠りにつく

    そして朝焼けとともに目を覚ます

    誰もいない部屋にあなたを探す

     

    涙とともに目を覚まし

    笑顔とともに二人の明日を想う

    隣にいないぬくもり探して

     

    ああ、太陽が降り注ぐのに

    私の心は曇っているか雨が降る

     

    ああ、温かい光が射しているのに

    私の心は暗闇と嵐の中に佇む

     

    いつの日か 夢の人に出会いたい

    いつの日か その手をつなぎ眠りたい

     

    私の小さな願いは あの星とともに消えゆく

    私の小さな想いは 夜の闇の中で月の如く瞬く



    2009年11月25日12:17逆境にある人は、常に「もう少しだ」と思って進むとよい 〜新渡戸稲造
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    逆境にある人は、常に「もう少しだ」と思って進むとよい。いずれの日か、前途に光明を望むこと疑わない。


    〜新渡戸稲造


     

    この短い言葉からでも、情緒の安定し温厚な人柄がうかがえる。クリスチャンの教育者であり、農学者でもあった。この人も「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のクラーク博士の教え子である。わずか一年しか札幌農学校にいなかったクラーク博士の感化力がいかに大きかったか、考えさせられる。

     

    「にとべ・いなぞう」と読む。この人が「5千円札の顔」に登場したとき、名を読めない人が多かった。日本で知る人ぞ知る、という地味な存在だが、この日トン名はむしろ海外に広く知られている。日本を紹介した英文著作「武士道」が高い評価受けているからだ。

     

    1862年(文久283日、岩手県に生まれ、学んだところが札幌農学校。クラーク博士との出会いが、人生の方向性を決めた。米、独に留学し、京大、東大教授、一高校長、東京女子大初代校長、さらには国際連盟事務局長次長を務めた国際的な平和主義者である。

     

    「自分が生まれてきたときより死に至るまで、周囲の人が少しなりとも良くなれば、それで生まれた甲斐があるというものだ」。1933年(昭和871歳で死去。「5千円札の顔」を喜んでいるという人ではない。

     

     

    ----------------------

     

    一日一言

    佐藤毅著

    河出書房新社

     

    ----------------------

     

     

    人間は苦しみの中に生きているといっても過言ではない。富を手にしていてもいなくても、私たちはいつも孤独と悲しみを抱えている。しかしいつかはこの霧や靄のようなものが晴れると信じて、今日という日とこの時間、瞬間を生きていく。本当に面倒だとは思うけれど、人間関係の中に身を置かないと、人間は成長できない。だから私たちは同じ人間同士とかかわりながら、自分の居場所を見つけていく。

     

    私たち人間という生物は、大きなものさしでみれば、本当にくだらないものの集合体のような気がしてくる。しかしひとつ一つの固体は、澄んで輝き、とても素晴らしいものを持っている。だからそのポジティブな力をもっと強くかがやせることが大切になる。

     

    そういう人たちを助けるために、人は自分以外の人に愛情を注ぐ。自分を愛するように他人にも愛情を注ぐ。それが真の人間らしい人間の生き方である。誰かの笑顔を見たいなら、まずは自分が笑顔でいなくてはならない。そして自分が笑顔になるためには、誰か笑顔を見ること、セルフコントロールを続けることが必要不可欠である。自分を自分で癒す能力。人間には、きっとその素晴らしい能力が誰にでも宿っていると感じる。だからどんなに辛いことがあっても、前を向いて生きていくことができるのだろう。



    2009年11月24日13:25まぼろしの ロンドを踊る 白昼夢 満たされぬ愛の 欲は果てなく。。。
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    さようなら、私の愛しき人

    今日も会えずに、また夜を重ねる

     

    さようなら、恋しき幻の人

    明日も二人は、遠く離れて眠る

     

    私には、愛すべき人がいる

    それだけで、充分ではないか

     

    私は、誰かに愛されている

    それだけで、満たされているではないか

     

    永遠なる欲望とエゴに動かされ、

    私は恋という悪魔に踊らされる

     

    永久に終わらぬロンドの中で、

    私は愛という無秩序に縛られている

     

    ああ、今日も愛すべき人の隣で、

    私はもう一人に、思いを寄せている

     

    ああ、青い鳥が近くにいるのに、

    私はたくさんの人に、夢を描いている

     

    悲しむべきは、私の精神と思想

    苦しむべきことは、自らが作り上げた

    幻想と妄想を、現実だと思ってしまったこと

     

    悲しむべきは、私の不貞と非常識

    苦しむべきことは、自らが招いた

    白昼に見る夢を、真実と思ってしまったこと

     

    さようなら、私の愛しき人

    今日も会えずに、また夜を重ねる

     

    さようなら、恋しき幻の人

    明日も二人は、遠く離れて眠る

    いつか夢が現実になる幻を抱いて
    私は今宵も、眠りの中であなたを想う・・・



    2009年11月24日13:11★ロワゾウ・ブルー 〜白昼夢と青い鳥の狭間で、私は今日もあなたを夢見る
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    なんだ、あれがぼくたちが探していた青い鳥なんだ。ぼくたちずいぶん遠くまでさがしに行ったけど、ほんとうはいつもここにいたんだ。

    〜メーテルリンク

     

    どんなに熱心にお説教しても、絶叫しても怒号しても、言葉は容易に人の心にしみていかない。だが、人の心は簡単に動くこともある。その不思議な謎は解いても、解き切れない。以外に謎の一端を垣間見せてくれるのは、童話の世界。素朴なお話や美しい劇によって自ら人の心を開かせ、読む人や見る人に自然な形で感知させる。

     

    チルチルとミチルがクリスマスの前夜、夢の中で幸福の「青い鳥」を探しに出かける。思い出の国、夜の森、未来の国などを訪ねるが、結局見つからない。目が覚めると、そばの鳥かごに「青い鳥」がいて、隣の娘さんの病気が治るというお話。

     

    幻想的な童話劇だが「幸福は近きにあり」「幸福は他人に分けるもの」と教えている。「青い鳥」はベルギー語で「ロワゾウ・ブルー」。「幸福」の象徴として世界的に使われるようになった。作家のモウリス・メーテルリンクはノーベル文学賞を受賞した象徴派の詩人、作家。1862829日、ベルギーに生まれ、194987歳で死去した。


     

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    一日一言

    佐藤毅著

    河出書房新社

     

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    どうして私は苦悩しているのか。悩み苦しんで世をはかなんでいるのか。近くにいる人を愛せずに遠くの人を愛している。自分の理想の生活を夢見て、現実逃避している。近くにある幸せに気づかずに遠くのものに目を向けているから、心身ともに苦しむのだろう。

     

    でも私は隣の芝生を見てしまう。どうしてだろう。幸せを手にしているのに運命や奇跡を信じている。しかしその行為が自分も周りの人をも苦しめている。いったいどうしたらよいのか。私は逃げることも留まることもできない、愚かな人間なのだろうか。それとも、もっと尊い存在なのだろうか・・・。

     

    「私は白昼夢の中で生きている」

     

    だからこのような想像と創造ができるのだろう。

     

    「この夢の中でずっと夢を見る。永遠に・・・」

     

    私の夢ははかなくとも、いつも輝き、私に生きる糧と希望を与えてくれる。辛い現実から、私をしばしの温かい気持ちと幸福にさせてくれる・・・そんな人もいてもいいのだろう。

     

    『愛しき君を想うのは、私は現実から逃れるためなのか。それとも真実の愛を知ったからなのか。この苦しみと悲しみから私を救ってくれるのなら、私はこの生命と人生を捧げよう・・・・』



    2009年11月24日08:32たくさんの 愛を感じる 寒い日々 救いの神は あなたの笑顔。。。
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    messi 2母親に久しぶりに電話した。優しかった。そして暖房器具が壊れているといったら、家にあるものを送ってくれるらしい。彼女に迷惑をかけてしまうのは申し訳ないけれど、いつも友人たちと出かけたり忙しいらしくて、今週も北海道に行くらしい。彼女が元気なことが私の元気・・・多分母親も、私が元気なことが元気につながっているのかもしれないね。

     

    ということで売店に行ってきま〜す♪下腹部が痛くて、PMSの兆候が出ているけれど頑張ってきます!土曜日はバレーボールの県大会・・・風邪さえひかなければ、何とか大丈夫かな?

    messi 5
    モウリーニョ6messi 3













    PS:アンリの仏の手問題はどうなるんだろうね。。。でもマラドーナのように、神の手で済まされてしまうのだろうか?アイルランドの人たちにとっては、国を挙げての闘いだったから、なんだかかわいそうな気もするけれど。。。うまい解決方法が見つかるといいね!やっぱりサッカーやスポーツというは、みんな注目しているし、国を挙げての世界的なイベントなんだね。サッカーで頑張っている人は、たくさんの人に夢を見せてほしいなぁ♪頑張れいとしのメッシ♪♪JKに彼女がいてもやっぱり好きかも〜。でも彼氏も好き。来年くらいに子供作っちゃおうかな?妹も作るらしいから。。。



    2009年11月23日20:02CHara Breaking Hearts - tomorrow - My way
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    2009年11月23日19:05真実の愛とは、いつでもそばにいてくれる人同士の優しい灯火。。。
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    必要なときに必ずそばに来てくれるに相違ない人・・・。

    愛せる人とは、そういう人にほかならない。


    〜葴言と省察

     

    いくら「愛している」と言っても、いざというときに自分のそばにいてくれない人の「愛」は、当てにならない。恋多き男であったゲーテは、恋の相手だけではなく、自分自身をも振り返ってみて、愛の真実とは、美辞麗句を並べることではなく、贈り物をすることでもなく、なんでもないときにベタベタすることでもなく、一旦緩急あるときに何を置いてもそばにいてくれる、遠くにいても飛んできてくれる、ということにある、と言っているのだ。多くの経験を積んだゲーテの言葉だけに、信憑性はすこぶる高いようだ。

     

     

     

    あなたの愛は、きっとまやかし

    私の愛は、あなたとは違う

     

    あなたの愛は、きっとまぼろし

    私は愛は、あなたとは間逆

     

    愛を語るくせに、愛を知らない者

    愛を知らないのに、愛を語る者

     

    あなたの愛は 罪深く悲しむべきもの

    あなたの愛は 虚偽に包まれている

     

    愛とは、痛みを感じても、

    なお、一緒にいられる人への優しさ

    愛とは、傷つけあっても、

    なお、笑いあえる人同士の思いやり

     

    真実の愛を知らないのに

    まるで愛の使者のように振舞うあなたは滑稽


    現実の愛を知らないのに

    まるで愛のもとに生きているようなあなたは偽善

     

    もう 語らないで

    美しいものだけが愛だなんて


    もう 言動を起こさないで

    完璧なものが愛だなんて

     

    偽りの愛の中にいる人の言葉に耳を塞ぐ

    まやかしの愛の中にいる人の言葉は幻想

     

    綺麗なだけが愛ではない

    美しいものだけが愛ではない

     

    ドロドロと醜く、どうしようもなく悲しく

    汚くて、汚泥のようなゴミの中でも

    心のつながりを維持できる人たちは

    真実と信頼、ゆるぎないものを持つ

     

    永久に変わらぬ愛を手に入れられたとき

    私は永遠の安らぎを感じて眠りにつく

     

    永久に不変の優しさを感じられたとき

    私はしばしの幸福を感じて笑うことができる



    2009年11月23日17:52Jamiroquai - Emergency On Planet Earth -corner of the earth
    2009年11月23日11:56★僕ら弱者は賢く強く学びながら、彼らを利用していくんだ。彼らが僕らを利用しているように・・・
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    ありあまる富があると、人はおかしくなる

    挫折や悲しみのない人生、平坦な人生、

    苦しみや痛みのない人生を歩いた人もおかしくなる

     

    どうして人は何もない人生

    ありあまる富を持っているとおかしくなるのか?

     

    おかしい人がおかしい人たちの中で

    おかしいことを毎日繰り広げているからだ

     

    私たち弱者や貧困にあえいでいるものたちを

    助けるフリをして影で嘲り笑っている

     

    そんな歪んだ心を持った人たち

    それが富と名声、地位や名誉をもった人たち

     

    私たちとは永遠に交わることのない生物

    私たちとは絶対に深く関わることのない人格

    私たちとはまったく別物の人間・・・

     

    彼らは羊の皮をかぶった狼

    彼らは優しいフリをした悪魔

    彼らは心なきサディスト

     

    今日も明日も彼らは勘違い言動をする

    過去も未来も彼らの言動で諍いが起こる

     

    私たちはあなたたちが嫌い

    私たちには受け入れがたい人種

     

    でも私たちは賢くなって

    彼らの財布の紐を緩めている


    私たちは馬鹿なフリをして

    彼らの同情を集めている

     

    そう、弱者は賢く強くならなくては

    そう、貧困者は彼らを利用しなくては

     

    マキャベリのごとく、私は彼らを操る

    ゲーテのごとく、私たちは思想を操る

     

    誰も助けてくれない悲しみのなか

    誰も手を差し伸べてくれない苦しみのなか

    私たちは生きて生き延びる

    私たちは命をつないでいく

     

    頭を使って、富を手にした者を、

    地位や名声で着飾った虚飾者を、

    くだらないものを手にしたい欲望者を、

    私たちはうまく利用していく

    彼らの同情と共感を集めていく

     

    人生は持ちつ持たれつ

    賢くないと生きていけない

    常に学んでないと生き残れない

     

    サバイバル的な人生が、私を強く成長させる

    人生のゲームを勝ち残るために、

    私は自らの心身をもっと高めていく

     

    絶対に彼らが手にできないものを

    私たちは有している

    彼らが一生をかけても感じられないものを

    私たちは感じている

     

    生の神秘と尊さ、人間同士のつながり、

    動植物や宇宙、世界や見えないものとのつながり

     

    絶対に彼らが手にできないものを

    私たちは有している

    彼らが一生をかけても得られないものを

    私たちはこれから得続けるだろう

     

    人生は持ちつ持たれつで成り立つ

    賢く強くないと生きていけない

    常に学んでないと生き残れない

     

    サバイバル的な人生が

    私を学びと成長をさせる

    人生のゲームを勝ち残るために

    私たちはしなやかな精神を高めていく



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     椎名林檎 ありあまる富

    HQ ありあまる富/椎名林檎




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    2009年11月22日20:36★今日も、Messi・Ewan・Hide・Mourinho、優しき人たちに癒されて。。。
    PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!日記・独り言 

    messi 5金曜のバレーボールの練習から、また節々が痛くて体調不良に・・・。さらに彼氏の機嫌も悪くて、暖房器具も壊れていて、部屋も二人の関係も寒々しくて、私は彼と一緒にいたくなくて、体調不良だったけれど、支援センターに入り浸っていた。だからさらに彼の機嫌が悪くなり、「部屋が汚い」とか「だらしない」とかいろいろ言われてかなり凹んだ。いつものことだけれど、自分のことは棚に上げて私を攻める彼に苛立ちが隠せなかった。

     

    モウリーニョ3部屋を片づけながら、いろいろな思いが交錯して、たくさん泣いた。その後はいつものように笑って普通に過ごしていたから、さらに辛くなった・・・。「誰も助けてくれない。だから自分で自分を癒すしかない」なんて思いながら。とにかく体調が悪いことがどうしようもなく辛くなるときがある。それが婦人科系のものであり、自分がまいた種を刈り取っているから、さらにイライラが募って後悔が渦巻く。こんなジレンマの中で、風邪をひいたり、糖尿の気が出たり、死にたくなったりする。とにかくこの心の状態が体調不良からくるのか、何からくるのかわからなくて、人生を終わらせたくなる。

     

    モウリーニョ 1だけど少しの幸せや癒される出来事で、私はまだ生きたいと思う。今日の朝も、サッカーの欧州リーグのメッシやモウリーニョ監督、そのほかの南米や欧州の方々の、陽気で能天気な明るさを見ていると、こっちまで楽しい気分になって癒される。ここ最近やっているバレーも、欧州の方やアジア、南米の方々は明るく観ていると元気が出る。だから私たち止める日本の人たちは、心がかさかさしていて、とても貧しいのだと感じている。外見や物質ばかりを求めている日本人を見ていると、悲しい気分になる。

     

    image20さらに日本男性特有の、女性を支配しようとするような風潮に嫌気がさす。とにかく日本のすべてが嫌になってくる。でも一握りの欧米的な日本人がいるだけで救われている。そういう人がいなかったら、私は生きている意味もわからなかったと思う。日本男性が嫌い。弱いか強いかのどちらか。支配する人か、支配も何もできない頼ってばかりの弱い人のどちらか。さらに義父のように、弱いのに誰かを支配して抑圧する人に嫌悪感を隠せない。

    091106~0101中途半端な弱さを隠すための強さを持つ日本男性に、反吐が出るほど嫌気と嫌悪感を隠せない。だから私は支配されるなら「ひとりで生きていこう」と決めた。日本の男性と結婚や出産をしたら地獄。支配されて監獄のような生活を強いられる。ならば日本から脱出して海外で暮らすか、日本男性に頼らない生活をするしかない。
    日本の男性は変態ばかり。浮気ばかりするし、ロリコンが多い。気持ち悪い。嫌悪感が酷い。

     

    モウリーニョ2まだ今の彼氏は、私が弱い人を演じていると、少しは優しいからマシ。さらに彼のほうが私のことを好きだからやっていけている。たまに嫌味を言われても、基本的に私よりも弱い。私しか頼る人がいないから、許容範囲内だと思い始めた。強くて支配的な男よりは、まだ女々しい男のほうがマシ。私の言うことを聞いてくれる人のほうが好き。私よりも私を好きでいてくれる人のほうがいい。ラク。私が彼を選んだわけではないから。私がはじめに好きになったわけではないからね。・・・というのは本当にイジワルでエゴ的な女性なんだろう。でも私はそれ以上の価値があるからいい。基本的に面白いから。いろいろなことも知っている博識の部分もある。友人も多いし、誰とでも仲良くなれる。家事もきちんとやっている。今日も吐き気をもよおしながらも、お弁当を作った。彼には無いものをたくさん持っている。だから一応バランスがとれている。ギブアンドテイク・・・。

     

    messi 1それでも私はイカれているというか、常識はずれの面がある。それを修正してくれる彼は、結構重要な存在。常識に縛られている人がいるから、何とか常識っぽい日本の世間でやっていけている。でもいまだに家族や親戚とあうのに嫌気がさす。許す許さないの問題ではなく、体の調子が悪くなる。トゲトゲしている人たちの中にいることが、私を私でなくしてしまう。さらに義父に冷たく当たった親戚だからこそ、余計に確執がずっとつきまとっている。常識はずれ、はみ出ている、イカれている・・・でも今はそれをわかってくれる人たちがいるから何とか生きていけている。

     

    9b3650fa7053da26ということで体の痛みからイライラがつのっている。さらに婦人科系の症状がプラスされると、どうしていいかわからなくなる。でも優しい人たちの笑顔を思い浮かべて、私は「妄想と想像、こうなったらいいなぁ」という擬似的幸せの中で眠りにつく。夢の中で生きているといっても過言ではない。だって自分しかいないのだから。自分を癒したり励ましたりするのは・・・。誰も助けてくれないから、優しい人たちに少し弱音を吐くだけで、私は自分の中で自分を癒す、“セルフ・ヒーリング”を続けている。それが私が私でいられる、過酷で辛い中でも生きていられる唯一の術。そしてこうやって自分の思いを書ける(表現できる)場所があることも、唯一の救い。そして大いなるものや宇宙とのつながりがあるから、私は今日も生きていけるんだなぁ。。。

    messi 3
    モウリーニョ6
    091106~0202messi 2







    PS:今日も、妄想と幻想と、夢心地の想像の世界が止まらない。。。
       現実逃避もほどほどにしないといけないかなぁ。。。('д` ;)
       でもモウリーニョの大人の風格と厳格な顔には想像できない
       情熱的な監督としての指揮や無邪気に喜ぶ姿、
       その間逆に、メッシの少年のような純粋さ、頑張っている姿、
       ブログから想像できるなんだか本和歌とした素朴さがいいなぁ♪
       ユアンやヒデの慈善活動的な人生や生活、優しそうな人柄も好き♪
       ああ、今日も妄想が止まらないんだなぁ。。。φ(.. )



    2009年11月21日10:28同じ人間がいるから生きていける。自分とあなたを愛しているから、今日も生きていける。。。
    PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!人間について 


    世間一般の適齢期になると、みんな結婚したがる。どの人も小さなころから結婚を夢見る・・・つまらない。意外性がない。ありきたり・・・。私の人生にとって結婚とは縛りであり、身動きの取れない制度である。それが日本男児(九州)丸出しの男であれば、本当に息苦しい生活を余儀なくされる。さらにそれが金持ちや地位・名誉があれば、いろいろな付き合いがあり、さらに面倒くさい。私は面倒なことは嫌い。自分や他人に優しくすることはあっても、面倒なことにはかかわりたくない。今まで面倒なことで迷惑をこうむってきたから、なるべくならこの先の人生は、自由とまでは行かなくても、自分の思うがまま生きていきたい。それが世間一般や常識からかけ離れたものであっても、私は私流の生き方を選ぶ。何かにとらわれたり、自分の思想や哲学、表現が奪われるような生活だったら、私はきっと死を選ぶだろう。それは死んでいるのと同じだからだ。

     

    しかし世の中すべてを自由に表現してよいわけでもない。日本だからこそ何もできない場合もあるし、世界どこに行っても何もできないこともある。でも私の心のユートピアは、世界どこにいても自分だけの世界を構築する。だからこれからも間違っていると言われ、否定され続けても、私は私の表現をすることをやめないだろうし、それを止められても続けるだろう。誰かにとってそれが間違えであっても、私にとって正しい判断であれば、それは私の心が決めていること。だからいつでも自分らしく、心だけは自由でいられる。いくら病気や症状が重いときでも、心だけは何かを想像や創造できる。だから私は今日も生きていける。ひとりぼっちでも、誰にも賛同が得られなくても、私は私の信じる道を歩いていく。それが私の人生の生き方である。

     

    人間は元来、孤独である。だから孤独であっても特に気にしない。それで死にたくなって死んでしまっても、それは自分の人生だから仕方ない。自分の人生は自分で責任を持って決めていく。それが自分らしい自分の人生というものだろう。誰か(親や家族など)に決められた人生を歩いてきたから、私はこれからは誰にも決められない人生を歩く。それがわがままであっても自己中心的なものであっても、私は私のだけの人生を歩いていく。それに賛同して一緒についてくる人がいれば、私の邪魔をしなければよしとしようと思う。私を慕う人がいれば、私は愛情をそそいだり優しさをかける。それは同族意識や、同志的な思いが働くからだ。人間はどれだけ自分と波長が会う人がまわりに集まり、その人たちと共にテリトリーを増やしていく、いわゆる陣地を取り合うゲームでもある。勢力が強ければ強いほど、発言権も強大になる。しかし勢力が弱く、実践してこその哲学をつらぬいていない人の勢力は、弱くか細いものになる。

     

     

    私はこの果てしない人生のゲームの勝利者になるために、心のユートピアと多くの人たちとの心のつながりを大切にしたい。それはエゴから派生するものではなく、友好的で、思いやりにあふれた世界である。私は優しい人たちの中で、どうにか生きてこれたという過程があるから、これからも困っている人がいれば手を差し伸べるし、究極の選択として、命を差し出すかもしれない。それはこの世に対しての恩返しであり、困っている人や弱者、底辺で生きている人たちにとっての救いであってほしいと思う。私のようなバカっぽく見せている道化師を演じている人が、下をむいていたり人生を悲観している人に笑顔を届けるのは、今までの人生に救われたから、当たり前の行為であり、これからも続けていく行為である。だからといって誰かを支配したり、大きな勢力で何かには向かったりはしないだろう。ただ移ろう季節と時の中で、ただ自分らしく人間らしく生きていくだけが、私の使命であり、私の生きがいである。

     

    自分にも他者にも優しさを配れたら、きっと誰とでも打ち解けられる。馬鹿な不利をした道化師を演じることで、たくさんの人たちが心を開いてくれる。私はそのつながりを大切にしたい。そしてそれが私の周りから少しずつ大きくなり、温かいコミュニティが確立されたら楽しいだろうと思っている。ただ闇雲に生きるのではなく、目的を持って、目標や日々の生活をよりよく生きるために、私はこの先も、自分らしさを追及して、人間というもの、世界や宇宙というものを解明していきながら、この学びを続けていこうと思う。

     

    賛同を得られなくてもいい。私はアインシュタインやジェームズ・アレン、ゲーテといった偉大な人たちがいる。その人たちが生きていたおかげで、何とかこの世でも生きていける。この世の中で生きている人たちでも、一握りの人たちに私は希望を持っている。それが若い人であれ、年配、日本や海外の方であっても、私と同じ考え方や生き方をしている人がいることに、幸福や楽しさ、生きがいを感じている。

     

    「ただ生きているだけで素晴らしい」と思える境地になれただけで、私は生きてきた甲斐があると思う。この先にどんな人生が待ち構えていても、世の中に自分と優しき人たちがいる限り、私はどんな辛いことにも耐えてみせる。そしてそこから何かを学び取っていこうと思う。それが今を生きるということ、辛い中でも光明や生きる術を見つけ出す、唯一の経験や学びの機会である。人間は苦しみの中からしか学べない。血のにじむような経験からしか成長できない。ならばたくさんの痛みを感じられたら、もっと深くて広い心、やさしくて温かい心を持てるのではないだろうか。そして弱者や困っている人たちに手を差し伸べられる心を持てるのだろう。

     

    私はこういった生きがいがあるから今日も生きていく。明日も生きていたら生きていく。ただ生かされているから生きているだけの生物。普通の人間であり、どこから生まれてどこに還っていくかもわからない生物である。だからこの瞬間を楽しみ、生きがいを感じ、自分らしさを構築し、その中で他者との関係も大切にしたいと感じる。それが人間らしく生きること、今を生きることにつながる。愛すべき対象がいる。愛すべき私がいる。だから私は今日も生きていくのだろう・・・。

      

    PS:乱筆乱文失礼しました。出かけるので急いで書きました。。。今日はドライブにでも行ってきますわ。体調がいい日が数えるくらいしかないから、元気なときに動いておかないと後悔するからね!!ということで、私はこれからもバカっぽく(バカだが)、道化師を演じながら、自分らしさを探して生きていきます。それに賛同できる方は、いっしょになか〜まになりましょう♪

     

    はっきりいって人間ってめんどくせ〜。うざいときもある。でも面白い。でも楽しい。でも分かち合うことに幸せを感じる。でも優しい。でもあきない・・・だから生きていけるんだね!あなたがいるからいきていけるんだよん。。。




    2009年11月21日08:09★What a Wonderful World - Louis Armstrong
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    2009年11月21日08:00★椎名林檎 〜流行 ・ありあまる富・キラーチューン
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    2009年11月20日20:10☆バレーと水炊きで、しばし人生を満喫したっす♪ 〜よはまんぞくじゃぁ〜(・◇・)♪
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    Image053今日は今月末の
    ソフトバレー県大会に向けての練習だった♪
    売店勤務とバレーの練習と本番に向けて、
    体の調整をしていたから、
    風邪をひいてからは、
    家でダラダラしていることが多かったかも。。。
    でもそのおかげでぶり返すこともなく、
    来週も売店とバレーに参加できそう♪

     

    東洋大生の男性の研修生も交えて、
    バレーをした後は、ここ最近施設ではやっている
    “鍋”をみんなで食べた♪
    今日は水炊きで、洗ってない白菜やネギ、
    切ってないしらたきなどいろいろありつつも、
    200円弱でおいしく食べることができたよん

    結構満腹感もあるから、こ
    れからの季節はお鍋をみんなで囲むのは、
    ヘルシー(痩せる!)とコミュニケーションで、
    おいしく安く食べられるかも♪
    みんなで食べるお鍋はおいしいね。
    やっぱりひとりより二人、二人より三人なのかもね。
    やっぱり人はひとりでは生きていけないということか・・・?

     

    091109~00


    ということで、
    バレーで疲れたので早めに寝よう!
    (いつも早いけど)。

    変な時間に目が覚めたら、
    またブログを書くかも〜。

    それでは、おやすみなさ〜い♪
    眠い!!疲れた。。。
    (体力なさすぎ〜


       ちょ〜ねむいっす〜〜ぅ!
    つかれったっす〜〜!!!!!!
    でも人生楽しんでるっす!!!!!!たぶんっす〜




    2009年11月20日06:55★Video 136 - Everything - Alanis Morissette - 2004
    2009年11月19日22:23いじわるな遺伝子は、誰をパートナーに選ぶのか?...φ(.. )?
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    女性は男性のどこに惹かれている?

     

    すべての動物は、自分の遺伝子を首尾よく子供に受け継がせることを目指し、そのために役立つ相手と交尾しようとする。動物が“魅力的”と感じるのは、この繁殖の戦いに役立つ資質であり、人間の女性は高い地位を持つ男性の力にあやかることで、自分の利益を追求しようとする。逆に、例えば強大な力を持つ女性政治家が若い男のインターンと性的関係を持ったという話は聞いたことがない。強大な権力はそれを所持するのが女性である場合、美質にはならないのだ。

     

    地位に加えてお金も、男性の魅力を増す中心的役割を果たす。個人広告の中で、女性がお金のことについて言及する率は男性の10倍だ。そのほかの個人広告で女性が男性に求めるのは、愛情と自分に尽くしてくれることと性格の良さであって、これらの要素は男性が出す広告の大半にはまるでしめしあわせたように見当たらない。心理学の実験によれば、女性はバーガーキングの制服を着た美形よりもロレックスをつけた醜男のほうを、強烈に嗜好するのだという。

     

    女性は男性の地位に価値を置くのと同じ理由で、男性の富を重視する。お金があれば食料や衣料や住居その他の必要な製品を買うことができ、それによって彼女自身の“繁殖計画”をさらに進めることができるからだ。興味深いことに、自分自身働いて高い給料を取っている女性ほど配偶者になる男性の経済的地位を、ほかの女性よりもずっと重視するのだという。

     

    こうした嗜好は結婚に関するデータに反映されている。富を得るには時間が必要であり、ために男性の魅力は年齢とともに増すことになる。20世紀におけるアメリカ人の平均的な夫婦は、夫が妻より3歳年長であり、17世紀のオランダでも状況はまったく同じだ。オランダだけに限らず、「夫が妻より3歳年長」という文化は数百も存在する。

     

     

    男性は女性のどこに惹かれている?

     

    ウェストサイズをヒップサイズで割ったとき、1920年代から80年代までの60人以上のミス・アメリカ優勝者の数値はみな、0.690.72というごく狭い範囲におさまっている。この0.7という割合は何を意味しているのだろうか。(ウェスト)/(ヒップ)=(0.7)という呪文で呼び出せるのは、どんな種類の女性なのだろうか。この0.7という割合には遺伝子だけが愛する特別な何かが含まれているはずだ。受胎に関する調査を行っている科学者によれば、ウェストがヒップの0.7倍の女性はいちばん子供を妊娠しやすいのだという。人工授精に関する別の調査でも、この数値が0.8以下の女性はそれ以上の女性に比べてほぼ2倍も妊娠しやすいという結果が出ている。つまり男性が砂時計型のスタイルに魅了されるのは、その体系が受胎能力の高さを示している体のだ。

     

    加えて、世界中の男性はより若い女性を好み、ふっくらした唇や大きな瞳やつややかな髪の毛など、若さに関連する特徴を高く評価する。若さそれ自体に、特別望ましい何かがあるわけではない。単に、女性の受胎能力は年齢とともに衰える傾向があるだけだ。そのほかの文化的イコンも、こうした欲望を忠実になぞっている。例えばバービー人形の一種で、豊かで流れるような若さあふれた髪が特徴の“トータリー・ヘア”は、全部で1千万体以上を売り、バービー人形の多くの定番の中でもトップの売れ筋商品だ。

     

    最も美しいと評価された一群の写真には、いくつか共通する要素があった。それらの写真はみな、顎が細く、目は大きく、口から顎の距離が短いという意味で、より女性的な顔立ちだったのだ。カバーガールの顔はこれらの特徴をすべて兼ね備え、つまりファッションモデルの顔は、平均的な女性の顔の特徴をより強調しただけのものなのだ。

     

    今なおその理由は謎だ。胸が大きいことが繁殖上どんな利点を持つかは、今のところわかっていない。女性は胸が大きいからといって、乳をたくさん出すわけでもないし、より健康な子供を産むわけでもない。にもかかわらず、人々は胸の大きさにこだわりつづけ、豊胸手術を受けるアメリカ女性は毎年十万人をくだらない。

     

    魅力についての特質のひとつは、男性の欲望が以下に単純でありうるかを示している。つまり男は、自分に関心をもってくれる女性が好きなのだ。けれどどうやって「関心をもたれている」ことを認識するのだろうか?どうやら男性は一見些細なサインによって、女性からの関心をこっそり知るらしい。女性がある男性に対して心底胸をときめかせたとき、女性の瞳孔は広がる傾向にあり、ときには非常に大きくなったりもする。

     

     

    「美しさ」への理解は何にどう役立つのか?

     

    根本的な疑問に戻ろう。体の左右対称性など、自分ではどうにもできない要因によって判断されるのは、不当なことではないだろうか?たしかに。けれど幸運なことに、体の左右対称性は―恋人―になるかもしれない相手―が私たちを人間として判断する多くの材料のひとつにすぎない。そして幸いにも、恋人選びの計算に関わってくる他の要因の多くは、自分の力でどうにかすることができるものなのだ。

     

    たとえば、ある調査で男女の両方に「恋人に望む資質」を上から13個挙げてもらったところ、第1位に輝いたのは男女どちらも「やさしさと理解」だった。こうした資質ならば誰でも努力次第で、日々向上させていける。

     

    最後にもうひとつ良いニュースが、予想外の方面からもたらされた。精子バンクに足を運んだ人なら気づくだろうが、女性はドナーについての資料を読んだうえで精子を選んでいる。普通ドナーの写真はないが、情報はたくさんある。ここは、人々が遺伝子の医師に刻み込まれた資質を特に念入りに探求するところなのだ。

     

    ノルウェーとカナダの女性たちが最近、自分がどのようにして精子ドナーを選んだかを研究者に語った。それによれば、ドナーの肉体的特長や健康は確かに選択の一要因にはなってたが、最も影響を与えたのはドナーの誠実さや自立度や思慮深さなどの要因だった。先の「やさしさ」と並んでこれらの要因はみな、私たちが日々向上させていけるものだ。

     

    だからぼくたちは、自分の「美しさ」を不十分と考えるのではなく、ほぼ満たされていると思うようにしている。なぜなら第一に、魅力ある人間になるための道は謎に包まれてはいないからだ。異性から好かれるための行動は、母親が子供の僕らに教え込もうとしたのとほぼまったく同じなのだ。第二に、どんな人間も思いやりの心を忘れず、体を健康に保ち、経済的に自立していれば、異性から格段に好かれるようになるのだ。これ以上公正な話があるだろうか?

     

     

    消えない欲望

     

    心理学者は人間のセルフコントロール能力を試すためにちょっとばかり酷いテストを企て、まず4歳の子供たちの前にそれぞれ1個のマシュマロを置いた。そして検査官が「私は今から15ふんしたらまたこの部屋に戻ってきます。マシュマロは今すぐ食べてしまってもかまいませんが、私がここに戻ってくるまでに食べずに待っていたら、全部で2個食べることができます」といって部屋を出、その後、子供の動きをこっそり観察する。子供たちは最初、食べたいという衝動に抵抗しようと頑張っていたが、結局はほとんどが誘惑に負けて、1個しかマシュマロを食べることができなかった。

     

    この実験のミソは、10年以上たった後で同じ子供たちの再訪をしていることだ。マシュマロ実験で強い意志の力を示した子供たちは、ほかの子供に比べて大きな成功をおさめていた。彼らは集中力も高く、ストレスへの対処力も優れていると評価された。また実際、SAT(大学進学適正試験)でも彼らははるかに高いスコアをおさめていた。

     

    私たちはみな、日々このマシュマロ・バトルに直面している。そして欲望を一番抑制できた人にどっさりほうびが与えられるのが世の常だ。夢へと向かう途上で、私たちはいくつ者誘惑の小道に出会い、それをやりすごしていかねばならない。

     

    人間にとっても欲望を抑えるのは難しいが、ともかく自分をコントロールする能力が備わっている点でほかの動物と一線を画している。つまり私たち人間は、トラブルの元凶になる遺伝子だけではなく、自由な意志と自己鍛錬のための遺伝子をも手にしているわけだ。自分の中の最も動物的な衝動と闘い、人生を水から御するための道具は、ほかならぬ遺伝子の中に見出せるということだ。

     

    私たちは自分の動物的欲望を楽しみ、耽溺すべきでさえあるが、それらに主導権を握られることは避けなければならない。満ち足りた生活への鍵は、放縦な快楽と鉄の意志との妥協点を見つけること、そして自分自身と周りとの状況を巧みに操ることにある。

     

    私たちを惑わす誘惑は強力でしつこいが、絶対叶わないと決まった相手ではない。はるか昔から受け継がれた利己的でいじわるな遺伝子は、日々の生活のあらゆる面に影響を受ける。けれど、その影響を予測するのは可能だ。だから自己認識プラス自制によって、遺伝子との闘いに勝利する策を生み出すことはできる。そして闘いの勝利は満ち足りた、道徳的な人生とつながっていくのだ。

     

     

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    Mean Genes

    Terry Burnham & Jay Phelan

    いじわるな遺伝子

    〜テリー・バーナム

    +ジェイ・フェラン著

    森内薫訳

    日本放送出版協会

     

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    私たちが日々接している異性から、私たちは生涯の伴侶やパートナーといったものを決めていく。普通の人なら、若いころから理想の異性を求めて、いろいろな人にアプローチしたり、いろいろな方法で仲良くなったりするものである。異性を好きになるということはとても素晴らしいことだが、それが人生のすべてになってしまうと悲しい顛末が待っている。自分にもアイデンティティといったもの、譲れないものなどがないと、結婚して出産したり、家庭に入ったりすると、「いったい自分は何だろう?」と思ってしまう。母親というカテゴリーに入ってしまい、自分というものを見失ってしまう。ならばはじめから異性を人生のすべてとはみなさず、なんらかしらのアイデンティティとなるものを持ちながら生きることが大切である。それが仕事であれ、趣味であれ、自分がひとりになって没頭できる瞬間が誰にでも必要である。

     

    私が異性に求めるのも、何かひとつに秀でたものがある人。何かアイデンティティとなるものをもっている人が、必要最低限の条件である。自分しか見ていない、趣味も友人もいない人、没頭できるようなものがない人にはまったく魅力を感じない。やはり他人同士が一緒に住んだり仲良くなるには、「ずっと同じ」というのは息が詰まる。ならば、それぞれがそれぞれの方法で、自分らしくなれる瞬間が必要となる。それがアイデンティティとなる譲れないものをもつということであり、家族や母親、父親というカテゴリーから離れられる唯一の方法でもある。

     

    何かに縛られるから人は苦しくなるのであって、何かに縛られない瞬間を持てば、きっと人はいつでも心は自由でいられる。心のユートピアをいつでも保つには、はやり自分だけの時間、自分らしくなれる瞬間が必要である。それにはある程度の、アイデンティティとパーソナリティを持てるコミュニティを確保することが大切である。それがいくつもあればあるほど、人の心は違った分野の人たちとの交流で、広がりと深みを持てるようになる。

     

    だから私は社交的で明るい人が好きで、ユーモアや博識を持った行動人が好きである。何日家を空けても、自分が好きなことをしているのであれば、私はそれでかまわないと思う。逆の場合、私も何日か放っておいてほしいときもある。そういうつかの間の休息があれば、パートナーと近すぎて息苦しくなることはないだろう。それは信頼あっての言動であり、信頼が根底にあるパートナーに限ると感じるが、たまには束縛されたりやきもちを焼かれるのも、少しはうれしいなと思う。だからドライすぎずに、でもウェットすぎずに、適度な距離を保ち、お互いがお互いを思いやり敬う方法で暮らしたほうが、うまくいくのではないだろうか(私の場合はであるが・・・)。

     

    やはり男性が女性を、女性が男性を見る目は違うのだろうか。それぞれが優しい人を選んだとしても、良くない方向にいく場合もある。結局は遺伝子からくる相性、それとフィーリング、よくわからない直感のようなもので相手を選んでいるのかもしれない。私は同士のような人、お互いが向上できる人なら、容姿・年齢は問わず、信頼できるパートナーになれると思う。でも外国的な発想や価値観の人のほうが、日本男児のような人よりは、苦しくなさそうな気がするのは私だけだろうか。外国かぶれだから外国の方が好きなのだろうか・・・。どちらにしても外国的な日本人か、日本的な外国人ならウェルカムです。でも私も少しはキレイにならないとなぁ。。。という感じでございます。

     

    それでは、良い恋愛を楽しんでくださいませませ。。。(゚.゚ ;)!?それでは♪



    2009年11月19日16:59未来も過去も、見かけほどたいしたものではない 〜ショーペンハウアー
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    「・・・いつもいつも未来に対する計画と配慮ばかりに専念したり、過去に対する憧れに耽ったりすることをやめて、その代わりに、現在こそ唯一の現実的で確実なものであること、これに反して未来はほとんど決まってわれわれが想像したのとは異なってくること、それどころか過去だってわれわれの想像とは異なっていたこと、しかも未来も過去も全体として見れば、見かけほどたいしたものではないことを夢にも忘れないようにするがよい」


    〜ショーペンハウアー(哲学者)・
     『幸福について』

     

     

    「真実で現実的なのは現在だけである」というのが、ドイツの哲学者、ショーペンワウアーの結論のようだ。この文章に続けて彼はこういっている。「過ぎたことに腹を立てたり、未来のことを心配したりして、せっかくのよい現在のひとときをしりぞけ、あるいは軽率にもこれを台無しにするのは、愚かな話である。悲観主義的哲学者といわれたショーペンハウアーらしい考え方だが、このことはたしかに、肯定せざるを得ないことだといえると思う。ではいったい彼は、“現在”の何に、どのような生き方に“意味”、あるいは“価値”を見出すことができるというのだろうか?彼はまず、最も重要で取替え不可能な絶対的存在は、あなた自身をおいてほかにないといっている。健康はもちろん、美しいと感じる感受性、気質や性格、知性、精神的成長、心や意識など、あなた自身に属する固有のもので、生涯他人がどうこうできる事柄ではないという。ところが土地とか、財産といった所有物、あるいは地位、名誉、家柄などといった社会的評価は、自分の外側にあるもので、間接的に影響はあるにしても直接自己の人格に結びついたものではない。価値があると思う人間にとっては価値があるだろうか、健康を害していたり、人生の悩みを抱えている人にとっては、そういった財産や名誉などといったものは、何の役にも立たず、生きる意欲、生きる意味をもたらしてくれない。

     

    財産とか名誉などは、生身の人間の幸、不幸、喜びや悲しみとは、直接の関わりもなく、相対的価値しかないと、ショーペンハウアーは指摘している。「いうまでもなく人間の幸福のあり方、いや、人間の生き方全体にとって主要なものが、人間自身の中に存するもの、人間自身のうちにおきるものだということは明らかである。個々にこそ内心の快不快が直接宿っているわけだ。というのは内心の快不快は、ともかく人間が感じたり意欲したり考えたりする働きの結果だからである。これに反して外部にある一切のものは、なんといっても間接的に内心の快不快に影響を及ぼすに過ぎない。だから人間が同じ外部的な推移ないし事情によって触発される具合も各自各自でまったく異なってくるし、同じ状況のもとにあっても各自の生きる世界は別々である」。人間にとって、自分自身の内的世界こそが最も重要で、すべての存在価値は、そこにこそあるのだと、彼は考えているようだ。

     

     

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    いい言葉が人生を変える

    塚本晃生著

    廣済堂出版

     

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    人間の内側に着目してからは、人間の外見にはあまり気をとられることはなくなった。どうしても人間の内側を気にしてしまうのは、自分が外側ばかりで判断された経緯があるからである。人間誰しも同じ命をもち、同じ時間を生きているという事実があるが、同じ時間を生きているからといって、同じような人生を歩くわけではない。同じように見えても、個々抱えている事情や生き方は違っている。その事情まではわかりかねない場合もあるが、事情までも汲めるくらいの深い心を持てたら素晴らしいだろう。

     

    他人の内側を気にかけることもそうだが、自分の内側をもっと気にかけることが必要である。自分の内側や自分という人格は、自分自身で作っていくもの。自分が目指す人物像を思い描きながら、今このときだけに心を置いて生きること・・・この瞬間を一生懸命生きることの繰り返しで、自分の人生は成り立っている。長いように見えても、短い時間の積み重ねで人生が成り立っているのなら、この瞬間を大切にすることが必要不可欠である。その思いさえあれば、自分も他人も大切にできる言動ができるだろう。

     

    変動する外的なものよりも、不動の内側を作ることが、強い人間や素晴らしい人間のあり方かもしれない。常に内側に問いかけで、自分と一対一で向き合う機会をもてたとき、新たな自分や価値観と出会えるだろう。日々の生活から学ぶことがたくさんある。出会いも別れも、この時間も大切にできる自分でありたいと思う。



    2009年11月19日01:49John Frusciante - Your Song (Elton John Cover)
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    2009年11月18日18:28人間なんて生きているだけでありがたいんだ 〜関野吉晴氏
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    『「悩み」や「病」は自分の人生に対する警告信号である。「悩み」や「病」を単なるネガティブなものだとしてすぐに除去してしまおうという姿勢からは、「生きる意味の再構築」も「内的成長」も生まれない。私たちは自分自身を「癒す」力を持っている。そしてその「癒す」力とは、病むべきときに「病む」ことができる能力、「病」に気づく能力を含んでいる』

    〜上田紀行

    (東京工業大学大学院准教授)・『生きる意味』

     

     

    病むべきときに、病むことが大事

     

    でも苦しんだり、悩んだりすることを好きな人はいないと思う。しかし、私たち人間は、生きている以上、人生の途上、何度となく苦しんだり、悩んだりする事態に襲われないわけにはいかない。そのようなとき、私たち人間は、どう対応したらいいのだろうか。普通は、やはり“逃げ出す”ことをまず考えるのではないだろうか。“意識”しないように“考えない”ように、できたら目をそらして、何とか事態をやり過ごせたらと思うに違いない。ようはたぶん、私たち誰もが持つ、共通の心理的傾向だと思う。しかしもちろん、それで原因がなくなったわけではないので、事態が当事者の都合のいいように、解決するということはない。小さな軽い問題であれば、そのまま自然消滅するということもあり得るが、そのようなケースでは、苦しみも悩みも、それほど深刻ではないので最初からたいしたことではないはずである。問題は、もっと重大な事態に巻き込まれた、あるいは陥ったとき、私たちはどう対処したらよいかということである。上田氏は、“悩み”や“病”は、自分の人生に対する警告信号だから、単純にネガティブなこととして、除去することばかりを考えないほうがよい、と自らの体験を踏まえた上でのアドバイスをしてくれている。誰もが、自分自身のなかに“癒す”力を備えているのだから、その“苦しみ”“悩み”をしっかり受け止め、自分なりに“苦しみ”“悩ん”だほうがよいという。そうすれば、その“悩み”、“苦しみ”のプロセスの中に、“生きる意味”の発見と、“再構築”のチャンスを見出すことができる。そして、その経験を通して、あなた自身、多くの知恵を獲得することができ、“内的成長”を遂げることができるのだと、上田氏は述べている。

     

    苦しみや悩み、不運かといったさまざまなネガティブな問題から逃げるのではなく、むしろ真正面から受け止め、それを、内的成長のために利用しながら、わたしたちひとりひとりが、自らの「生きる意味」を創造できる社会に変革していく人間像を目指すべきだと、上田氏は強調している。

     

     

    6,500万前くらい前に恐竜が滅んだとき、地球上の80%以上の生物が死滅したといわれている。ぼくらの生命の源も、そのときに断ち切られてもおかしくはなかった。だけど乗り越えた。結果、ほとんど奇跡的に今のぼくらがいるんですよ。これは別に人間だけじゃない。今、地球上に存在するすべての生命が奇跡なんです。ホント、人間なんて生きているだけでありがたいんだ』

    〜関野吉晴

    (冒険家・医師・大学教授)・『幸福論』

     

     

    地球上すべての生命が奇跡

     

    単独、しかも人力中心で、地球の一蹴約5万キロの「グレート・ジャーニー」の旅を、成功させた関野氏の言葉である。それだけに「人間なんて生きているだけでありがたいんだ」という表現には、危険にさらされながら、5万キロにもわたる旅の過程でさまざまな“奇跡”を時間した重みがにじみでている。動物にしろ人間にしろ、生まれては死に、死んでは生まれして、私たちの生命は今あるわけである。それはヨーロッパ人であれ日本人であれ、ペルーの先住民のマチゲンガ族であれ何も変わりない。また、クマだってリスだって、ねずみだって同じだ。植物の生命も花を咲かせ、種子をつくり、葉、茎などは枯れて朽ち果てる。関野氏が述べているように、地球上の生命は、みんな“奇跡的な存在”であることは疑いの余地はない。彼は、上記の言葉の後に続けて「それを感じることができるのは人間だけだろう」ともいっている。その人間だけに与えられた“感じる能力”を、関野氏は、自転車を始め、ソリ、カヌーなど、自らの体を使って「グレート・ジャーニー」を成功させたのだから、まさに歴史的快挙といってよいと思う。

     

    彼は、戦前から戦後にかけ、朝鮮半島、中国、内モンゴル、ニューギニア、中南米を撮影し続けてきた大変ユニークな探検写真家で、関野氏は、探検部時代に誘発されてアマゾンに出かけるようになったとはなしている。以後彼は、25年に35回も南米通いを行ったという。仲でも親しく交流を重ねたのが、南米ペルーの奥地に住む、先住民のマチゲンガ族であった。そのマチゲンガ族について関野氏は、「彼らは常に支配される側で生きてきたという歴史を持っている。他部族に支配され、バカにされても、徹底的に抗戦はしないで、ヘラヘラしてでも生き抜く。支配や搾取をしたい人間にも、ヘラヘラとしたたかに対処する一方、仲間内では決して、支配したり搾取したり、モノを抱え込んだりはしない。人間は濃密で、将来の備えとしては、モノを蓄えることよりも助け合いのネットワークを重視する。支配するものがモノを独占するのに対して、必要な者にモノが流れていく仕組みだね」と、平和と平等を大切にする、実にうらやましいライフスタイルを守って生きているのだといっている。そして彼は、地球上の多くの先住民と触れ合ったその結論として、このようなことを述べている。「ぼくらの世界というのは、長生きしたいとか、快適に生きたい、モノを豊富に持ちたい、そういう価値観で動いてきたんだが、そういう価値観を続けていけば、おそらく21席の途中で人類は滅びざるを得ないだろう。そこで彼ら先住民の生き方、考え方、発想を学び、21世紀にはどうしたらよいか、を考える必要があると思う」。異質の世界の旅は、私たちに多くの学びをも与えてくれるもののようである。

     

     

    関野吉晴

     

    1949年、東京都生まれ。一橋大学法学部卒。横浜市立大学医学部卒。冒険家。医師。武蔵野美術大学教授。一橋大学在学中に、探検部を創設。アマゾン全流を下る。中央アンデス、アマゾン源流、パタゴニア、アタカマ高原、オリノコ川を探検する。1993年から2002年にかけて南米のチリのナバリーノ島をスタートしてアフリカ・タンザニアのラエトリまで、全工程5万キロの「グレート・ジャーニー」を成功させる。植村直己冒険賞受賞。

     

     

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    いい言葉が人生を変える

    塚本晃生著

    廣済堂出版

     

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    私の住む朝霞市では、周りが農家だらけということもあり、新鮮な野菜が、いつでも安く手に入る。この近くのスーパーの近くに、さらに大型のスーパーができたらしく、農家の人たちも、安くせざるおえないのが今の現状である。でも私は今までずっと農家の方々の野菜を買ってきたので、これからも買っていくと思う。結局は、生産者の顔が見える売買こそが、安心できる食生活につながり、そこから信頼とつながりができる。顔の見えない大型スーパーのような無機質なところはあまり好きではない。だから昨今は、農作物の直売所がたくさんできているのだろう。生産者の顔が見えて、安くて新鮮なものが手に入ることが、やはり消費者が求めている食に対するこだわりであろう。私の市でも、水曜と土曜は直売所でたくさんの野菜などが出に入る。だから朝霞市に住んでから、野菜に困ることはほとんどなくなったし、近くの畑で旬の野菜をチェックできたり、春夏秋冬の季節の流れや、動植物が穏やかに共存している風景にいつも癒されている。

     

    私たちが追い求めてきた便利だけを追及した生活は、このところ影を潜めているように感じる。この時代だからこそ、生産者との交流やつながりが、新たな農業や酪農などのコミュニティの広がりをもたらしている。ブランド米をはじめ、独自の個性的な野菜の栽培、いろいろな作物を海外に輸出したりすることも行われている。こだわりがあればあるほど価格は高くなるかもしれないが、それを求めて買う人も増えてくる。「ここでしか手に入らない、唯一の品物=ブランド」を作っていくことが、これからの生産者には必要不可欠な課題であると感じる。普通の野菜の値下がりが相次ぐ中、その逆にブランドとして希少価値を高めたものも生産していくと、もっと農業や酪農、漁業などの分野に活気や将来性が出てくると感じる。

     

    若い人たちが農業などに着目してくれれば、きっと自然と人間と動植物のあり方にも着目してくれるだろう。動植物や生きとし生けるものあってこその人間であり、豊かな自然や環境があってこその生活であると実感できるだろう。これから高収入を見込める分野は、公務員や官僚など安定したものだけではなく、自分の手で生み出す変化のあるものでも楽しいと感じる。それには基本的な安定した生活を保障することが必要不可欠である。冒険しても大丈夫なような仕事をすることで、いろいろな人の才能を伸ばし、新たな発見や驚きが見つかるかもしれない。

    自然と人間の共存。きっと日本もこれからは、もっと密接にこの関係性を重要視すると感じる。そのためには都会では得られない喜びを、子供たちに教えてあげる人が必要だと思う。田舎にはあって都会暮らしにはないもの・・・それは人間同士のふれあいと、動植物との温かい生活であると感じる。そこから命の大切さを学び、他者をいたわる言動ができると感じる。そして日本で自給率を上げることができれば、これからは輸入に頼らない安全な食と職が保障されることになる。それが未来への希望につながると私は考えている。



    2009年11月18日17:31言葉を紡ぎ奏でるごとに、私は私らしく生きられる
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    私はあなたのために

    今日もこうやって 言葉を放つ

    それは愛ゆえの行為であり

    愛がなくては できないものである

     

    私は今までも

    いろいろな言葉を放ってきた

    それは愛であり 希望であり

    絶望や 途方にくれるような虚無である

     

    すべては心の中から発せられた

    私の魂からわきあがる言葉

    言葉は鋭いナイフにもなるし

    柔らかな真綿のように

    温かくてまあるいものにもなる

     

    言葉ひとつで人間は 

    明るくもなり暗くもなる

    たったひとつの言葉で

    誰かが泣き 誰かが笑う

     

    不思議で神秘的な言葉遊びを

    今日もどこかで誰かが紡いでいく

    それが鋭いものでも柔らかいものでも

    人間は言葉に癒され、言葉に傷つけられる

     

    言語がない国々であれば

    愛情はどうやって伝えあうのだろう

    言語がない人々であれば

    愛情をどうやって育んでいくのだろうか

     

    私は言語を持ち文章を書くということを

    唯一許されている

    だから今日もいろいろなことを

    言葉に乗せる

     

    それがあなたの心に

    届いていてもいなくても

    私はこれからも愛の言葉と

    さまざまなメッセージを奏でる

     

    それがあなたの心に

    響いていなくても

    不特定多数の人たちの

    賛同を得られなくても

     

    私はこれからも書きたいから

    文章と言葉を紡いでいく

    これは永久に続けていく


    これこそが私に備わった

    私だけのアイデンティティと

    パーソナリティ、心表現を許された

    唯一のあなたと誰かとのつながり

    そして未来への希望だからである